本田増次郎墓地(岡山県中央町)
生まれ故郷に眠る本田増次郎氏の墓
本田増次郎氏は1925年(大正14)11月25日に故郷岡山に帰るのを願いながら病状が悪化し帰らぬ人となりました。増次郎氏は自身の墓地には十字架を刻む事を望んでい
たそうで実際現場に足を運び実物を見ると墓地にはただ単純に十字架が掘られているのでは無く丁度十字架が墓石から浮き出ているような作りになっています。
この墓地は増次郎さんの遺言通りに十字架を刻み岡山県中央町にひっそりと本田家の墓地区画の中にあります。この墓地から山を見下ろすと恐らく増次郎氏が亡くなった時と同じ
風景がそこにはありました。今回この墓地を案内して下さった本田穣氏も私が「当時と景色は変わらないのではないでしょうか?」そう言いますと「そうだね。その頃と変わらん
かもしれんね」と今回体調があまり良くないにも関わらずとても親切にこの墓地をご案内して下さいました。(感謝)
この場所は増次郎氏の生家の直ぐそばにあり、自宅と墓地とが離れている現在の日本の環境とはかなり違った印象を与えています。常に近くにあるので先祖を良く思い出す事もあ
るでしょうし墓地ばかりがあるのではないので怖いという印象もありません。生活の中でゆっくりと今生活している人々と先祖が共存しているような印象すらあります。
童話「青い鳥」(作者:メーテルリンク)の話の中に死んでしまったお爺さんやお婆さんの事が書かれています。既に死んでしまった人たちとまた天国で再開するまで私達に出来
る事は”忘れない事”そう物語で伝えているのですが死者に対して思い出や様々な記憶を忘れがちな現代の生活にこの家と墓地が直ぐ側にあるこの美しい岡山の風土がとても羨ま
しく思えるのでありました。
25/December/2004
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