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日高善一牧師

日高善一牧師
写真中央:日高善一牧師(室町教会百年史より)

日本で最初に「フランダースの犬」を紹介した人物

1972年にウィーダが書いた「フランダースの犬」がどのように日本へ紹介されたのでしょうか?それは1908年11月(明治41年)に内外出版協会からこの写真中央の日高善一牧師 により初めてこのフランダースの犬が日本で紹介されました。当時日本基督(キリスト)教会の牧師であった日高氏はこのフランダースの犬の原作を読み牧師でもあり英文の翻訳家で もあった日高氏が日本の子供達へ良き物語として熱心に翻訳をされたそうです。この本は40版を重ねるまでのベストセラーとなりこの本がきっかけで日本にフランダースの犬が広ま る事になったのです。日本で初めてこの「フランダースの犬」が紹介された偉業は現在あまり知られておらず是非この機会に皆様に知って頂ければ幸いです。

当時の原文を読むとネロとパトラッシュが「清(きよし:ネロ)※1」と「斑(ぶち:パトラッシュ)」と日本名になっており今日の様にフランダースの犬が知られていない日本において親 しみやすい当時ポピュラーな人名と斑という当時犬に多く付けられていた名前に変更される配慮がされています。当時の言い方をすれば「清と斑」といった感じでしょうか?その他の 本文を含めた部分はおおよそ原作を日本語に変えたものであり今日読んでも何ら違和感なく読むことが出来ます。


日高氏の生涯

日高善一氏は1879年8月5日に(フランダースの犬初版がイギリスで発売されてから7年後)宮崎県に生まれました。後にクリスチャンになった日高氏は宣教師からオランダ改革派 のカルヴィニズムを学び(カルヴァン=キリスト教・プロテスタントの宗派の創始者)1903年に上京し明治学院高等学部英文科に入学、そしてその翌年に神学部に進みまし た。この英文科を選考した経歴から日高氏は英語に堪能である事が当然考えられ後にウィーダの原作を読み是非この物語を日本で紹介したいと思ったのかも知れません。

更に続きます。日高氏は上京した際に植村正久牧師という牧師が在籍する教会(一番町{富士見町}教会)の教会員となります。そして植村牧師が教えていた明治学院高等学部神学部に おいて同部教授たちの間に教育方針の対立が発生!この植村牧師がこの明治学院を去る事となり後に同氏が東京神学社を新たに設立。日高善一氏はこの植村牧師を追うようにこの東京神 学社二年に編入し1907年に東京神学社第一回卒業生となりました。


ウィーダと日高氏、そしてこの物語で出会う人々の共通点

私は日高氏の経歴を知れば知る程ふとある思い当たる事に気づきました。それはこの物語に関わる人々の多くの共通点に「猪突猛進型」「情熱派」そう!作者ウィーダ自身がその典型で あり「思いたったら人生の舵を切る」そんなタイプ人たちが多いのです。私の大切な親友でもあるヤン・コルテールさんは普段とても大らかで暖かい人柄です。しかしことフランダース の犬に関する話題や新しい発見等があったときはたちまち情熱の人となり話に夢中になりもう周りの事は聞こえなくなってしまうようになってしまいます(笑)ウィーダもラテンに対す る憧れを実現させる為にイタリアに移住しそして極貧になった晩年も決してイタリアの地から離れようとはしませんでした。そんな情熱気質な人を私自身とても好きなのですがこの日高 氏の歩んだ道のりを知るうちにふと情熱的な姿を連想してしまいます。

それではお話を再会します(笑)日高牧師はこの植村牧師の関わる出版物に学生時代から関与していた為若くして文筆に長けており翻訳書が20冊余りあり(恐らくフランダースの犬も その一冊)興味深い事に仏教にも造詣が深く仏教界とも交流があったようです。そういった背景の中フランダースの犬の日本初の訳は生まれました。そして日高氏は数々の教会の牧師を 歴任したのち1912年(大正元年)室町教会牧師に就任され21年間もの間、同教会の牧師を勤められました。


「思いたったら人生の舵を切る」再び!

21年間にも及ぶ室町教会での活動に恐らく室町教会の人々も「末永く日高牧師と共に」と考えていたかもしれません。しかし突如変化は再び訪れます。このページの前半に何度か「 植村正久牧師」という名前を取り上げましたが日高氏は何度もこの植村牧師と共に行動する為に何度も大きな舵取りを切ります。まるで物語のネロとパトラッシュの様に・・・そして この突然の変化はこの植村牧師の「死」が理由だったのかもしれません。当時植村牧師の運営していた「福音新報」の主筆として活躍され植村牧師の死後この「福音新報」の植村牧師 の後任主筆としてなるべく突如の室町教会牧師辞任を申し出たのでした。その時の状況をこう「室町教会百年史」にはつづられています

日高善一牧師は、一九三三年(昭和八)、室町教会を辞任し、植村正久の死後も継続されていた『福音新報』の主筆に就任するために東京に移 った。日高牧師が辞任の申し出をしたのが十一月五日の臨時小会であったが、余りにも唐突であったためこの時に承認することができずに・・・・・

この突然の辞任により六ヶ月の間室町教会は無牧となったそうです。原因は日高氏の突然の辞任申し出によるものですがきっと室町教会の人々もずっと室町にいて欲しいそう願った事 でしょう。しかし一度火がついてしまった以上その熱意は恐らく止める事が日高氏自身出来なかったのでしょう。そんな情熱的な日高氏が「フランダースの犬」と初めて出合った時に どのように思ったのか・・・それに関する資料は現在一切ありません。しかし・・・

私は日高牧師はこの「フランダースの犬」を初めて日本へ導く運命にあったのではと思ってしまいます。真のパイオニア(先駆者)はまだ足跡が無いところへ情熱と勇気を持ち歩んで 行くからでまさに日高氏の様な人物がこの物語を日本に導いた事は素敵な運命だった思います。その後日高氏は精力的に牧師及び日本神学校講師をつとめ、1956年6月10日:日 高善一氏はウィーダに似て肺の病でこの世を去りました。

K.Oshima 26/January/2004


この日高善一氏を調べるに当たり当初なかなか手がかりがつかめず暗礁に乗り上げておりました。しかしながら室町教会:樋口 進牧師先生の御協力により多くの事が分かりました。 この場を借りて深くお礼申し上げます

※1:様々な資料により清の読みが「きよ」「きよし」と分かれている。しかし本書には「きよし」との記載の為「きよし」に変更する(平成16年6月11日)

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